本を読むべきではない理由
我ながら随分と刺激的なタイトルをつけたものだと思う。
本を読むべきではない?なんだと!けしからん!
と思いこのページを訪れた方。
その拳を下ろして欲しい。私はあなた方の思うような敵では恐らくない。
本を読むべきではない?全くもってその通りだ!
と思いこのページを訪れた方。
申し訳ない。私はあなた方の敵だ。
はじめに
さて、まずは「本を読むべきではない」と考える理由を述べていくに当たり
私自身の立場を明確にしておきたい。
私は本を愛している。
この世のどのような文化よりも本を愛している。
本という存在がなければ私は今(2022年3月21日時点)において生きていないだろう。
この世から本という存在が無くなったら私は死ぬだろう。
本という文化が弾圧されようとしている時、私は『図書館戦争』のように本を守るため命を懸けて戦うだろう。
そして、その本を読む行為「読書」には
・語彙の増加 (参考文献)
・ストレス発散 (参考文献)
・言語力の向上 (参考文献)
・脳の活性化 (参考文献)
など多分のメリットがある。
では何故「本を読むべきではない」と思うのか。
これはひとえに「読書は義務によって行われるべきではない」と考えるからである。
即ち、ここでいう「本を読むべきではない」とは、
「本を読むという行為をすべきではない」というものではなく、
「本を読むべき」という義務及び、奨励を否定するものである。
「本を読むべき」という言い方を否定するものでる。
うん。随分と無理矢理なロジックである。
そう言いたくば「本を読むべきとすべきではない」や「本を読むべきと言うべきではない」と言えば良いのだ。
そのことを認めた上で弁明させて頂きたい。
悪意はないのだ。
繰り返す。悪意はないのだ。
私はこのような記事を書くにあたりどのようなタイトルを付けるべきかとても悩んだ。
極大苦悩であり、懊悩煩悶し、煩悶憂苦した。
そこではたと気がつく。
私は何故このような記事を書こうとしているのか。
正直に言おう。
金目的である。広告収入目的である。
であればなるたけ人目を引くタイトルが望ましい。
そして私は再び悩んだ。
人目を引くタイトルとは如何に。
極大苦悩であり、またしても私は懊悩煩悶し、煩悶憂苦した。
そして出た答えは、
過激なタイトルならば人目を引くに違いない。
という安直なものである。
前言を撤回したい。
「悪意はない。」というのは嘘だ。
悪意100%である。
勇気100%ではなく、悪意100%である。
この場をお借りし、すべての生きとし生ける物へ謝罪したい。
ごめんなさい。
私は悪意をもってこのタイトルをつけました。
多くの方はここで怒り、このページを去ろうとされるだろう。
しかしである。
訪れて頂いた方よ。ここまで読み進めて頂いた方よ。
今しばらく待って欲しい。
本題はここからなのだ。
何故「本を読むべきとすべきではない」のか
何故「本を読むべきとすべきではない」のか。
それはひとえに個人の自由権を侵害しているからである。
暫時、暫時!
今しばらく待って欲しい。読むのをやめないで欲しい。
ちょっと頭の良さそうなことを言ってみたかっただけなのだ。
弁護士や裁判官みたいになってみたかっただけなのだ。
「すべき」と言うと人は反発しやる気を無くす。
だから「本を読むべき」とすべきではない。
こちらが本心なのだ。
ちょっとかっこつけて「自由権」とか言ってみたかっただけなのだ。
・・・
自分でやっておいてなんだが、そろそろ本当に本題へと戻りたい。
「すべき」と言うと人は反発しやる気を無くす。
だから「本を読むべき」とすべきではない。
心当たりのある方は多いのではなかろうか。
例えば、
「お前は生きるべきだ!」
と親や教師、上司など(自分の方が立場が上だと思っている)人物から言われたとしよう。
すると貴方は生きる気力をなくすのではなかろうか?
・・・
うん。認めよう。例えが悪かった。
例えば、
「お前は音楽を聴くべきだ!」
と親や教師、上司など(自分の方が立場が上だと思っている)人物から言われたとしよう。
音楽を聴く気をなくすのではなかろうか?
このことは心理学の分野で研究がなされており、「心理的リアクタンス」という名で知られている。
【説得への抵抗】
説得とは – コトバンク (kotobank.jp)
(中略)
受け手の説得への抵抗に関連する要因として,ノウルズKnowls,E.S.とリンLinn,J.A.(2003)は,心理的リアクタンス,不信,精査scrutiny,無反応inertiaを挙げている。受け手の判断や選択肢選択の自由が脅やかされれば心理的リアクタンスが生じやすくなって説得メッセージから影響を受けにくくなるし,送り手やメッセージ内容に不信感やネガティブな感情を抱いても,影響を受けにくくなる。さらに,送り手や説得メッセージをいろいろな側面から精査することも影響の抵抗につながる。
簡単に言えば
「勉強しなさい」
と言われると勉強したくなくなるあれだ。
私はこうした「○○しなさい」という言い方のみならず
「○○すべき」や「○○した方が良い」という言い方においても、
場合によっては心理的リアクタンスが発生すると考えている。
なぜならば、日本語というものは難しく
「○○すべき」や「○○した方が良い」という言い方で事実上の強制を意味する場合もあるからだ。
思い返して欲しい。
学校での教師とのやり取りを。
大学での教授とのやり取りを。
職場での上司とのやり取りを。
「○○すべきじゃない?」、「○○した方が良いんじゃない?」と言われてしなかった時の反応を。
大概はその後、「何故○○しなかったんだ!」と怒られるのだ。
「何故」と問われているからに、自分が何を考え奨励という名の強制を拒否したのかを答えようとしても聞いてくれない。
聞いてくれたとしても真っ向から否定される。
こうして人は成長しながら「○○した方が良い」は事実上の強制であることを学んでいく。
そうして人は奨励の言葉においても心理的リアクタンスが発生するようになる。
その上で今一度読書にはメリットがあることを確認しておきたい。
「読書」には
・語彙の増加 (参考文献)
・ストレス発散 (参考文献)
・言語力の向上 (参考文献)
・脳の活性化 (参考文献)
など多分のメリットがある。
しかし、一方で
「本を読みなさい」
「本を読むべき」
「本を読んだほうが良い」
と述べることは、心理的リアクタンスを発生させる可能性があり、結果として当該人物の読書へと結びつかない可能性がある。
相手に本を読んでもらうためにはどうすれば良いか
では、その相手に本を読んでもらうためにはどうすれば良いか。
これには色々な方法が考えられる。
例えば「カリギュラ効果」という心理学用語がある。
簡単に言えば禁止されるほどやりたくなるというもの。
『鶴の恩返し』の「覗かないでください」などその最たるものだろう。
納税も禁止されればみんなやりたくなるのだ(多分)。
このことを利用して、いっそのこと「読書」を名目の上で禁じてしまえば良い。
例えば机の上などに本を置き「この本読んじゃダメよ♡」と言って外出してみてはどうだろう。
少なくともその相手に「この本を読んでみたい!」という欲求が生まれることは確実である。
「競争の心理学」を利用してみるのも良いだろう。
人は勝利によってポジティブな感情を得る。
読書をすることで得られる「ページ数」や「冊数」などで競わせるのも一つの手段となり得る(敗れた者へのケアはもちろん必要であるが)。
読書への導入ということに重点を置くのならば端に「餌で釣る」という方法も有効かも知れない。
読書をしたら何かをあげる。あるいは単に褒めるだけでも良い。
一方でこうした「餌で釣る」行為には弊害も指摘されており、そのことは肝に銘じておかなければならない(参考文献)。
成長過程にある子に親が本を読ませたいと思うのならば、「モデリング」を利用するのも良い。
「何かを真似ることで子供は成長していく」というあれだ。
親が本を読んでいるだけで、子供は自ずと読書という行為を真似るようになるだろう。
と、延々と本を読んでもらうための方法について語ってきたが、
私はここでちゃぶ台をひっくり返してしまいたい。
とりゃー!
とりゃー!
とりゃー!
確かに、本を読むことには多分にメリットがある。
そうしたことを踏まえて相手に本を読ませたいと考えるのもわかる。
しかし、私はここで一つの疑問を呈したい。
本を勧めようとしている人物自身は本を読んでいるのか? と。
自らが本を読んでいないにも関わらず、人に読書を勧めるのは如何なものだろうか。
ピーマンが嫌いで食さない親が子供に「好き嫌いせずピーマンも食べなさい」と言っているようなものだ。
政治家が国民に「5人以上の会食の自粛」を求めながら、一方で自分たちは5人以上で会食をするようなものだ。
率先垂範。
人に本を勧めたいと思うのならば、まず自分で読んでみてはどうだろう。
その上で、意識・無意識問わず研究の通り本当に読書にメリットがあるならば、自ずと人に勧めたくなるはず。
なぜならば人には、有益な情報を共有することで自らを価値のある存在だと認めて欲しいという「承認欲求」があるからだ。
さて、色々と寄り道しながらも長いこと語ってきたためそろそろ結論へと参りたい。
え? 長くない? 短い?
普段1000文字目安でカキカキしている私としてはもう結構長いのだよ……。
まとめ
さてさてさてさて!
ここまで読み進めてきたありがたい読者の方々には、今一度この記事のタイトルを振り返って頂きたい。
タイトルは『本を読むべきではない理由』である。
そしてこれは悪意100%、インプレッション目当てのタイトルであり、
真のタイトルは『本を読むべきと言うべきではない理由』。
その理由は心理的リアクタンスの発生により、むしろ読書を遠ざからせることになりかねないからである。
では読書をしてもらうためにはどうすればいいのか。
その問いが浮かぶ時点で「はい、論破!」、「ドーンだYO!!」。
(以下一段落読み飛ばしてもらっても結構)
本サイトの書評記事を読んでもらえば良いのです!
自分の愛する本を勧めたい、そしてあわよくばお金を稼ぎたいという一心で我々は記事を書いています。
私なんかはともかく、litmus paperは一つ一つの記事にそれはそれは時間をかけ丁寧に皆様に読んで頂くべく執筆しております。
読書をしてもらいたいのならば
まずは本サイト(hitsugi-books.main.jp)をオススメしてください!
という宣伝はまあ置いておいて、
ここからは一人の本を愛する者としての論理も心理学もない甘ったれた感情論的考えです。
本が人に与える好影響とは、とてもとても大きいものだと私は思う。
私が今生きているのも、なんだかんだあって起業してどうにかやっていられるのも、すったもんだあって最終学歴が中卒でありながらも国立大学に在籍できているのは、間違いなく本のお陰である。
しかし、私が人に本を勧めたいと思うのはそうしたメリットからではない。断じてない。
ひとえに本の素晴らしさ知って欲しいからである。好きなものを共有したいのである。
もちろん科学的に言うのであれば、その好きという感情の裏には自らの生存に役立つというメリットがあるのだろうし、共有という行為の裏には承認欲求が見え隠れするのだろう。
でも、そのことを理解した上でも、
私は、本が好きだからこの思いを共有したいのだと言い続けたい。
そして、願わくばすべての本を愛する者にそうであって欲しい。
メリットがあるから、天才の趣味が読書だから、東大生は子供の頃から本を読んでいるから
などではなく、
「読書が好きだから君に勧めたいんだ。」
「この本、面白いから君に読んで欲しいんだ。」
という本に対する好意による行動であって欲しい。
そして何より、心理学的な手法よりも、
「自分の好きなものだから勧めたいんだ。」という純粋な本への好意による共有こそが、
読者人口を、本を愛する者を増やすのだと信じたい。
最後に
ここまで読んでくださった稀有な方がもし仮に万が一おられるのであれば心より感謝申し上げます。
過激なタイトルから始まり、専門外の心理学を駆使したそれっぽい論理展開、そして締めの甘ったれた感情論。
普段いかに自分のことを棚に上げて本の書評をしているのかと恥じ入ることしかできない文章力。
穴があったら入りたいとはまさにこのことと実感しております。
そんな拙い文章力を世間様に晒してまで何故このような記事を書こうと思ったかと申しますと、昨今の読書に対する実利主義に対して疑問というかを抱いているからです。
もちろん、入口が実利であろうがなんであろうが読者人口が増えるのであれば、昨今の出版業界の状況を踏まえても嬉しいことです。
しかし、それと反比例するかのように、感情に訴えかけるものが極端に減っていってしまってはいないかと。
感動できる、夢想できる、泣けるなど、あるいはかっこいい、かわいいなど
感情に訴えかけるものもまた実利を訴えるものと一緒にあって欲しいなあという漠然とした感情からこのような駄文を著すに至りました。
それでは、長文失礼!
unt Auf Wiedersehen!
dorasyo329
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